高齢者による自動車事故というもの

 2019年4月19日に池袋で起きた高齢者による乗用車暴走事故。2人の親子の命を奪い、多くのけが人を出した。大成功をつづけてきた人生の終盤において、人生が始まったばかりの子供の命と将来を奪ってしまった事故。被害者の方はもちろん加害者にとっても気の毒でならない事故だ。

 

 高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違えによる事故は多いといわれている。そこで、どのように防止するのか?

 ワイドショー等をみていると「年齢によって免許書を返納すべきだ」「認知症検査を厳しくすべきだ」「公共交通機関の不十分な地方の場合は困る」「難しい問題だ」というのが今の意見の主流だ。その中を堂々巡りを繰り返しているのが今の議論の実情。

 

 違うだろう! そもそも、考えるべき視点が違うのではないか。

 確かに高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違えによる事故は増えてきているような気がするが、高齢者以外では踏み間違えの事故は無いのか? 高齢者の人口比率(人口そのもの絶対数も)が増えているということは事故率は一緒であっても事故数が増えるのは当たり前だ。実際に、年代別の事故数(10万人当たりの)を見ると、10代20代の事故の方が圧倒的に多い。むしろ高齢者の事故数は少ない方だ。

 また、年齢と能力は全てが逆比例するのか? 人間は生れてから若年の時代は個人差はあってもその個々の乖離は大きくない。だから年齢による学年分け等もおかしいけれども許容される範囲なのだ。しかしながら高齢者になれば、個人差の乖離はとてつもなく大きくなる。

 若者に負けない精神的肉体的能力を有する高齢者もかなりいれば、残念ながらかろうじて生命を維持できている高齢者も少なからずいるのが実際だ。交通事故にとらわれず、高齢者になればなるほど年齢のひとくくりで考えるのは間違いで、個々の能力によって判断するのが当然だ。

 アクセルとブレーキの踏み間違えは年齢によるものというよりも個人の能力によるもの+人の判断を狂わす要因によるものであり、それは、高齢者か若年者にかかわらず人が運転している限り生じるものなのである。

 

 そのように考えてみると、今考えるべきことは免許返納云々ではない。考えるべきは「異常運転防止、自動運転機能」を搭載した車両の開発とそうした車両を使用する社会システムを早急に確立することだ。幸い、IT技術の発達により今は可能な状況にある。

 

 もし政府が本当に高齢者の交通事故を問題と感じ、高齢者を大切な労働人財と考え、高齢者の行動力に期待し経済を活性化しようとするのであれば、そしてそれが国家の将来の安全と発展に対する大切な克服すべき課題と考えているならば、臨時予算の編成や予算の組み換えでも良い、10兆円(根拠はないが)でも予算を確保して、自動車メーカーやITメーカーにこの問題を解決できる車両の開発をさらに急いでもらうべきだ。現在は個々のメーカーが独自で衝突事故防止装置などの開発を行っているが、国を挙げて今すぐこの問題に急ぎ取り組んでもらいたい。

 数年間凍結しても良い予算はいくつもあるはずだ。

 

 その結果は、安全で高齢者も活躍する豊かな日本に寄与し、世界を安全で豊かなものにするだろう。

 

2019.4