究極のビジネスモデル 宗教の先細り

 世の中は「不安」がもとになっている。

 個人、家庭、企業、自治体、国家、人類、の日々の行動、活動はすべからく「不安」がベースとなっている。

 その最たるものが死と死後の不安、「死後の世界はあるのだろうか?」「天国へ昇るのか地獄に落ちるのか?」「死は苦しいのか?」「残した家族は食べていけるのか?」。

 

 その不安を堂々とビジネスにしているもの、それが宗教だ。

 絶対神を崇める一神教と、八百万の多神教、阿弥陀様の仏教、ヒンズー教、ブードー教・・・などなど、 その形態に大小の違いはあれ、共通点はいずれも不安ビジネスということだ。

 

 冒頭の繰り返しのようになるが、基本は人間の不安感に訴えかける。地獄へ行くのか天国へ行くのか死後の不安、現世においても人の道を踏み外してしまうかもしれない不安、病気や死そのものへの不安、衣食住が満足に満たされない不安。世間から仲間外れになる不安。時代についていけない不安。

 その不安を常に抱え、不安の的中を回避するために、人は働き、物を買い、サービスを受ける。製造業、農業、漁業、銀行業、保険業等々全てが何かしらの不安感をベースにしている。広告、コマーシャルは皆人の不安感に働きかけているのだ。

 企業にしても倒産の不安から遠ざかろうと、売り上げや利益を求めるのだ。

 自治体、国家もしかり、構成員の社会生活が損なわれ、国家の存続が揺るがないように、行政は活動する。

 

 神社に行ってみると、全ての不安に対応できるように多種のおみくじが売られ、多種の祈祷を受け付ける。商品を買い、サービスを受けるのだから、参拝者は態度が大きくてもいいはずだが、皆ありがたがって、お守りや祈祷を代金を払って授かる。どちらかと言えば死後の世界というよりも、現世の様々な不安に対するビジネスモデルだ。

 お寺に行ってみると、先祖との縁に感謝し、先祖を敬うことによって自分の満足と悟りを得るという何世代にも永遠に続くビジネスモデルの中に入り込む。先祖を大切にしないと罰が当たりそうに思える不安だ。

 一神教の場合は、信じることで現世の悪事を免罪し死後の世界を保証するというような、不安解消保証ビジネス。信じなければ救われないということだ。

いずれも、永遠に廃れることはないとおもわれるようなビジネスモデルだ。

 

 しかし、日本ではその宗教ビジネスモデルが成り立たなくなろうとしている。皮肉にも大切にしてきた生命の継続の先細りによってだ。

 文化庁によると全国の神社は88,534社(摂社を含むと20万社とも)、そのうち有人は2万程度、宗教家活動だけで成り立っているところは比率としては僅かだと言われている。神主の高齢化、氏子の高齢化と少子化による先細り。

 お寺は77,000寺と言われているが、お坊さんも高齢化と跡取り不足で困っている。檀家も高齢化と少子化で急速に先細りだ。

 ちなみに教会は国内に32,981教会あるそうだ。修道院で聞いたことがある。修道士が高齢化して修道士だけでは教会の運営が成り立たなくなっており、信徒のボランティア(奉仕)に大きく依存している状態が拡大しているとのこと。やはり、先細りなのだろう。

 モスクは80以上あるようだが、おそらくこちらは留学生等で拡大していくことだろう。

 

 いずれにしても、宗教および宗教ビジネスモデルは、子孫が増えるピラミッド型人口構成で成り立つもの。人類史上初めての急激な少子高齢化に陥り、尚且つ価値観の多様化が進む日本では宗教不安ビジネスは先細りの不安を自ら抱えることとなる。解決策は、宗教の海外進出だが宗教は侵略のための道具であった時代もあり、世界に不安をばらまき紛争の種となる恐れも大きい。

 一方移民により国内人口を増やし危機を回避することも考えられるが、移民に日本国籍を取らせたとしても、改宗の強要はできない。寺社の先細りを解消するのではなく、異国の宗教が拡大するだけであろう。

 出来るとすれば、寺社の統合等で体質を強化することだ。近年は宗教法人のM&Aも増えてきている。しかしこれとて、宗教全体の課題解決ではない。

 

 世の不安を糧としていた宗教がその存続不安に怯えている。ここは、商売の種を使って申し訳ないが神仏にすがるしかない。

 

2017.12