ホストクラブの巨大なシャンパングラスのタワー、最上のグラスにドンペリを惜しみなく注ぐ。スポンサー客の満足そうな顔。実に狂ったような豪華さだ。が、中途半端な量では、一番下の層のグラスを満たすことはできない。
今までの政府が考えていた(現在も継続中)経済振興策はこのシャンパンタワーの論理だ。
すなわち、上層の一握りの大企業や資産家にプラスとなるよう、溢れるほどの優遇支援を行うと、結果として最終的には最下層のグラスも潤うというシナリオであった。
が、必ずしも期待通りにはなっていかない。
なぜか?
この方法では、最初にシャンパンタワーはますます高くなっていき、下部の層がどんどん多層化する。つまり、貧富の差がどんどん大きくなる。
そして形としては、ピラミッド型のシャンパンタワーが東京タワー型になっていく。
どこまでも高く(数はドンドン少なく)、そしてそれを支えるために底部はドンドンすそ野を広げる。という構造的な問題が生じる。
さらに、名付けて「エンジェルフォール理論」ともいえる現象が生まれる。
この滝(エンジェルフォール)は、落差979メートル。南米ギアナ高地にある政界最大の落差の滝だ。
この滝には滝つぼが無い。水はあまりにも高い位置から落下すると途中で霧散し、最下層(滝つぼ)までは水として届かないのだ。
つまり、シャンパンタワーの手法は、社会全体に程よい調和で恩恵が届くことには繋がらない。上層のグラスは溢れるほどの恩恵にあずかれるのだが、中層から下層にかけてはドンペリの滴も見たことが無いグラスが多数並ぶ。
一方、下層にのみ小分けにシャンパンを注いでやるとどうだろう? 瞬間的に多少満足するが、上層からのシャンパンの供給が続かなければすぐに足らなくなる。
何度も何度も個別に手分けしてシャンパンを注いでやらなければならない。
結果として皆、誰かが注いでくれることを期待し、自立の力を失う依存症となる。
まるで、行き過ぎた資本主義と行き過ぎた共産主義のような感じがする。
どのようなタワー構造、どのような注ぎ方が程よい調和なのだろうか?
行き過ぎた、上層特化、下層特化が適当ではないことが判明した中で、中層を中心にした注入はどうだろう。
上層の大企業やグローバル企業は、一つの国家のようなものだ。それぞれが、自立のための十分な機能を持っている。自分で政治に働きかけることもできる。
そこに、必要以上のシャンパンを注ぐと飲みすぎ。酔っぱらって適正ではない金の使い方をする。
日本の社会構造で言えば注ぐべきシャンパンは中小企業である。自立のための機能は必ずしも盤全ではなく、立法、行政に働きかける手段も十分に持ち合わせていないからだ。
現日本政府のように大企業が潤えば中小企業も潤うと一般的には考えがちだが、実際は中小企業が健全であれば、大企業が質的に強くなるのだ。それは製品やサービスの質を担保してくれるからだ。
日本の大企業は全体のわずか0.3%、大企業で働く社員数は全体の30%。ということは99.7%の企業が中小企業であり、労働人口の70%は中小企業と紐づいているということ。
日本人最多数の生活が最も直接的に紐づいているマネーの流れの元は中小企業である。
中小企業に注がれたシャンパンは満遍なく下層のグラスを満たす流れのシステムは既に確立されている。
この本質から見た、新型コロナに対する国家の支援。色々なところから、いろいろな場面での支援要請があると思うが、個々の要請に対してその都度場当たり的な対応が目立つ。しかも、本質をおさえずに、平時の仕組み平時の理論で新型コロナに立ち向かおうとしている。
どうしても無駄遣いと見えてしまう「アベノマスク」や、あまりにも遅すぎる諸対応(中小企業に売り上げが無い状態で2カ月以上耐えろというのは余りにも酷だ)は、そうではないのかもしれないが、国民の従順な忍耐力と工夫、民間の自発的活動に甘えているようにも見える。
もっとうがった見方をすれば、この機会に弱い中小企業は消滅させてもかまわないという考えが深層にあるのではないかとも思ってしまう。
そんなことになれば、失業者、生活保護受給者の激増で、生産の伴わない社会的経費が莫大となってしまう。
今は、中小企業に雇用の維持を条件にシャンペンを大量に注ぐことが最も早く社会全体に支援が行き届き、コロナ収束時の復興力を中小企業にそして社会全体に維持できる方法だ。
2020.5