九十九里浜の南、ようやく砂浜の途絶えた岬の上に太東岬灯台がある。
きらめく太平洋を一望する絶景だけに、戦争の傷跡も残る。米軍機の侵入を探知する電波探知機跡とそれを守る機関銃台座が草生している。
江戸時代後期、この地に「波の伊八(なみのいはち)と言われた彫師がいた。主に神社仏閣の欄間を彫っていたようだが、「波の伊八」といわれるものの並の彫刻家ではない。
彼は波を彫ることに強い執念を見せた作家として有名だが、これもまた並の執念ではない。
波を立体的に彫るために波の裏側を見たいと、なんと馬に乗って実際に崩れる波の裏を観察したという有名な逸話がある。サーファーであればパイプラインで波の裏も観られたであろうが、馬も足元の砂を波のとられてたいへんだっただろう。
岬から離れて数分(車で)の天狗の寺として信仰を集める飯縄(いづな)寺では、飛竜、牛若丸、天狗等がせりあがる波と絡まる迫力満点の伊八の作を拝観することが出来る。
なるほど、どのように彫ったのか想像が出来ない見事なものだ。
後日、伊八の生家跡を訪れてみた。鴨川市県道24号線、海側から入って「大日交差点」を左に折れてすぐに、屋敷跡がある。広い田畑に面した日当たりのよい一角、周辺は今でもさみしい。現在は墓所に変わっている。
伊八の作は、横須賀真福寺にも存在し、同寺は葛飾北斎ゆかりの寺ということから、二人の接点も推測され、あの富岳三十六景「神奈川沖浪裏」の浪は伊八の影響を受けたものではないかともいわれている。