先進国による途上国支援。支援された国は富み、経済は発展し、生活力が向上し、グローバルデビューし、長期将来的には先進国の仲間入りする可能性もある、はずである。
しかしながら結果としてはどうだろうか?
表面的には支援する側からも、支援される側からも上手くいっているという情報が出てくるのは当然だが、必ずと言っていいほど判で押したように出てくるのが、格差の拡大やそれに伴う社会不安、その不安定な状況に紛れての過激な武装集団の話題だ。
支援が一部を豊かにして富裕層を作り、その富裕層から支援のお金が支援側の企業等に合法的に還流し、国全体に行き渡らないからだろう。
一方貧困層に支援の一部が行き届いたとしても、今度は支援を期待するだけの意識が強くはびこることにもなる。
そして、支援国が資源などを買ってくれ(安く買って)そのお金で支援国の製品や文化、精神を購入する。
このように考えると、これまで行われてきた途上国支援形態の大半は、支援という名の「依存症発症剤」のようなものではないか。
純粋な支援というものはあり得ず、必ず国の思惑、企業の損得、日本ではあまり意識しないが布教の精神が裏に潜んでいるためだ。
本質的にあるべき途上国支援とはなんだろう。きれいごとかもしれないが、それは依存症発症と正反対の自給力支援ではないだろうか。
特に、国家、社会を構成するうえで根源的な必要要素である食料、エネルギー、人財の自給ができる体制が実現すれば、貧困、飢えが軽減され社会不安が薄らぎ自然に経済力の向上と文化の発展、そして投資の環境も整ってくることだろう。
その実現に協力することが本当の支援といえ、各国が自立して安定化することが、商売上のマーケットとして急成長すること以前に求めるべきことではないか。
もちろん、世界の国々には、従来のそのままの状況では植物も育ちにくい等自給が不可能な国も沢山あるだろうが、先進国には進んだ技術がある。
土壌改良技術、淡水化技術、各種養殖技術、多様な自然エネルギー活用技術、これらの技術は非常に有効であり今後も急速にレベルアップするだろう。技術的な支援は受けなければならないが、少なくとも、食料、エネルギーの自給実現は優秀な人財の自給にもつながっていく。
最近は、欧米各国と同じ土俵で競ったような支援も拡大しているが、戦後地道に行ってきた日本の途上国支援には自給力支援のスタンスに立ったものが多い。
「自給力支援」を日本外交、国際戦略の代名詞にしてはどうだろう。
2016.3