「改革、改善、イノベーションは現状を否定することから始まる。」講演、セミナー、研修などでよく聞くフレーズだ。自分も同様の主張を展開してきたものだ。
はたしてそうなのだろうか。本質の探求を標榜していながら、掘り下げが浅かったような気がする。
「温故知新」古きものや教えから学び、新しきを知る。これはどちらかといえば、過去や現在を肯定することから新しい物を生み出すということであり、冒頭の現状否定とはある意味真逆からのアプローチによる。
過去の結果として存在する現状、その意味合いを理解するにはその存在と存在する必然を肯定して向き合わなければ深くその本質に届くことは出来ないであろう。
否定から入るということは、その本質に届く前にある価値観から現状を悪、時代遅れ、無駄などと決めつけることに繋がる。その場合人は決めつけた段階で、そのものの本質を探求し向き合おうとする意識、行動を停止する。
かつて、この種のイノベーションを金科玉条のように唱えたマネジメント理論があった。成功した企業があったことは確かだが、二代目が起こしたイノベーションにより消滅した企業が多々あったのも事実だ。
否定から始まった改革、改善は比較的浅い本質の掘り下げから発していることが多く対処的で場当たり的であったり、自らの本体を殺めてしまうようなミスマッチであったりする。
一方、過去や現状に対し肯定的なアプローチをする場合は、より本質に踏み込むことができる。もちろん、肯定が無批判になってはならない。批判は否定とは本質的に違うもの。否定は思考の停止であるが批判は存在の肯定。常に「どうして?どうして?」の疑問を湧き起こす努力が伴うことが必要だ。
江戸伝統工芸の組紐、その組紐の技術が、今やITのセンサー部門の分野で大きく花を咲かそうとしている。それはなぜか? 江戸組紐とその技術を時代遅れとして否定せず、その技術を深く科学的に掘り下げIT技術で再現することで従来と全く異なる分野での利用価値が見出されたのだ。真の改革、改善とはこのようなことを言うのだろう。
否定から入った悪しき例としては、私の調査員としての実体験がある。大田区の電気部品メーカーがあった。堅実で大手の安定的な受注のもと安定感のある企業であったが、後継者問題もあり、米国で学びMBAを取得して帰ってきた二代目が実質的に跡を継いだ。若い二世にありがちなのは創業者と違うことをすること、創業者を否定すること、それが企業の成長に必要と信じて帰ってきたのだろう。同年代のビジネススクール仲間などと共に、ダイナミックな業種転換等を図ったが、さほどの年月を待たずに倒産した。古きを温めることが出来なかった結末だ。
イノベーションに関しては、「本業を続けるな(否定)、本業を離れるな(肯定)」という言葉もある。否定するにしても肯定があっての否定ということだ。
肯定、否定の大きな違いは日常の人の心の安定、ひいては社会全体の安定へも関係がありそうだ。
河口湖オルゴールの森美術館オーナーのヒラリンこと平林さん。都内から河口湖まで頻繁に愛車ポルシェを飛ばすのだが、最近、前の遅い車にもイライラしなくなったそうだ。「目の前の遅い車が自分の事故や違反を防いでくれているんだと思うと、イライしないで落ち着いていられるんです。」
ここからは私の推測だが、イライラしているときは前の車は自分の価値観の中では、悪であり排除すべき、否定されるべき存在なのだ。しかしながら目の前の車の存在を肯定的な目で見た場合、心の安定につながってゆく。
世の中は多様であること、世界は多様な人々の集まりであることから、他人を肯定することの必要性はわかっているつもりだが、冷静に考えてみると否定から入っているケースも少なくない。これは、組織、国家などにおける議論やデシジョンにおいてもそうだろう。
まだまだ私は肯定の悟りには程遠い。
2017.11