無  駄 ‼

 「無駄」とは益が無いこと。かいが無いこと。

 「無駄」で思い出すのが「事業仕分」。結果として、無駄を排除することが出来るとされているのが、ITとロボットそして人工知能。

 事業仕分けは組織、予算の無駄を洗い出そうとした。しかしながらあまり無駄は出なかった。なぜか?事業仕分けする方の無駄の概念、定義の掘り下げが充分ではなかったからだ。

事業仕分けの無駄とは誰にとっての何を対象とするのか、そしてどのような状態をいうのか、そして本当に排除されるべきものなのか、「なぜ二番ではいけないのですか?」とどうように、「なぜ無駄はなくさなければならないのか?」。

 一般人の感覚的な無駄という感情が根拠では、その事業を企画し実行している側の多様な価値観を裁くことは出来ない。話を聞いてみれば「ごもっと、それも一理ある」とどんどん切っ先は鈍っていく。それまで表舞台で議論したことが無いテーマを明るみに出したということを事業仕分けの成果として強調するが、正義の味方サークル的な一時的人騒がせに過ぎなかったと見える。

 IT、ロボット、人工知能が排除する「無駄」は、人件費に向かっていく。

 最近、メガバンクがITを駆使して人員削減が可能となったと報道されると株価が上がった。人減らしはビジネスでは𠮷なのだ。

 戦後、欧米資本主義が先導するグローバル経済に巻き込まれてからこの傾向はますます強くなり、人件費を削減すること=人間から職場を奪うことの為のIT,ロボット,人工知能が開発のトレンドになっている。

 

 人件費つまり人間の労力そのものは無駄なのか?何にとっての無駄なのか?

 人は糧(資本主義社会では賃金、稼ぎ)によって家庭を持ち未来を担う人を産み育て、様々な創造を行う。そのおかげで社会は作られ、これからも未来は作られていくだろう。

しかしそのことは、今は無駄なのだ。経営は少ないコストで多くの益を求める。人件費を多くかけることは益を阻害するもの、支払う価値のないもの、すなわち無駄。

 戦の形態も変わった、人間に対する尊厳があるならば、一人の人間が何百人、何千人、何万人を殺すことは出来ないだろう。それが出来るのは、ある意味「無駄」の感覚と、無駄を排除するために、IT、ロボット、人工知能を駆使するからだ。

 近代の戦争と欧米型企業経営による人件費削減、本質的に共通性がある。それは、人間に対する尊厳だ。

 人の社会的、生物的、創造性を価値として肯定するならば、人に投資するコストを無駄とは考えないはずだ。

 

 IT、ロボット、AIを否定するものではない。人間が出来ないことをIT、ロボット、AIが行うことは人間の行動領域を大いに拡げることだろう。しかし、人間の出来ること、単純作業を無理に代替えさせるということは、大いなる社会の無駄だ。人は誰でも高度な知的職業(単純作業を離れて人間皆が向かうべきといわれているもの)が出来るとは限らない。それでも、皆が人として創造力を発揮するには、人間が出来る作業は人間にしてもらう仕組みを確立することだ。それは、生きている人が生産的な活動をしないという「根源的な無駄」を排除することなのだ。

 さらに、生活保護や失業手当等の無駄なコストを生産的に解消することになるだろう。

 そもそも、IT、ロボット、AIの生産性に所得税をかけられるのか?人件費を払うからこそ所得税をかけられるのだ。あるいは、IT、ロボット、AIに人格を与え徴税できるのであるから人間はいらないという社会をつくろうとしているのであろうか。

 

2017.11