日本人とは、
「日本の国土そのものとその豊かな国土によって育まれた生き物や自然美、自然の摂理を愛でて、国土によって育まれた文化や歴史、精神性を大切にし、それを育て進化させて未来へ繋いでいこうとする人びと。」
と、いうのはどうだろう。
そこには、どこで生まれたか、どこに暮らしているか、どの民族か等は絶対的な必要条件ではない。
2019年ラグビーワールドカップが終わった。今回の大会は我々に日本人の本質を考える機会をくれた。
それは特別なことではなく、また全く新しいものでも無かった。
世界は全てが外来種。
日本で今我々が日本の固有の食べ物のように錯覚して食べているトマトもカボチャもジャガイモもお米も、すべからくそのルーツを調べてみると外来種だ。
魚貝は切れ目なく続く大海原を泳ぎ漂い、たどり着いた海域に、あるものは留まり繁殖する。
渡り鳥はそもそも国境など見えていない。
過去何万年も、何億年も繰り返された事実は。日本列島に暮らすものはもはや固有種、外来種などと分けて考えること自体がナンセンスだということを教えてくれる。(学術研究の分野はまた別)
それなのになぜ人間は?
いかに海によって他国とは隔たっているとはいっても、自分達が日本の固有種であるように言い切れるであろうか?
「日本人=大和民族≒日本固有の人種」という錯覚
(このような錯覚は、江戸時代の鎖国や、神話の誤解釈から来ているのかもしれない。太平洋戦争時の軍部はこの錯覚を利用したように見える。)
一般的な起源説のアプローチの中では、ポリネシアからの海洋民族が国土の先住民族となり、大陸からの稲作文化の到来とともに蒙古系モンゴロイドが上陸、世代を重ねた争いと混血の上に今の日本人が形成されたという説を聞いたことがある。
日本人の起源をめぐる説は現在幾多もの説があり、今後も新説と言われるものは数多く現れるだろう。おそらくどれが正解というものは無く、永遠に学術研究ロマンとして我々を楽しませてくれるのではないだろうか。
だが共通しているのはいずれも日本列島にとっては外来種だということだ。
法律的な観点で言えば日本人とは「国籍」という法律的概念に基づいている。
日本国籍の定義は日本国籍法にある「日本国民たる要件」を満たしたものを日本国民としているが実に細かい規定があり、国籍を決めることってこんなに難しいものなのかと驚くが、これはただのルールだ。
ルールはいくらでも変わりうる。日本の現在の国籍法が永久なものでも、正しいといわれるものでもない。
DNAという観点で言えば、日本人をどこかの段階(時代の個体)で定義してそれに合致したものが日本人となっているのだろう。(「日本人の遺伝子を持つ ・・・」等という表現などもある。)
長々とだらだらと述べてきたが、何が言いたかったかというと 、世界の誰でもが日本人たりうる。また、今日本人となっている人が必ずしも日本人とは言えないかもしれないということだ。
多くの外国出身者が日本の為に日本人の心で戦ったワールドカップ日本代表は 、私の勝手な冒頭の新日本人論から言えば立派に日本人だ。
このような日本人論を踏まえて国の制度や日常の言動を考えていけば、日本の国土に世界の人々が日本人として集い、日本が抱える幾多の課題解決の可能性が高まると同時に、日本の文化を世界に広めること、日本の文化を掘り下げそして進化させることにもつながっていくだろう。
そして何より、世界がこのような思想を掘り下げれば、いわゆる「移民問題」や「民族紛争」、「宗教問題」の解決(希薄化)にもつながる一つのヒントにもなりうるのではないか?
この新日本人論のカギとなるのが、日本の国土と広義の日本文化だ。
それについては、次にでも言わせてもらえば。
2019.11