外国人労働者受け入れの本質的意味と覚悟

 外国人労働者受け入れが新展開、入管法の改訂が閣議決定された。

「深刻な労働者不足による現場の苦悩」「移民政策とどう違うのか」「治安の悪化の懸念」など期待、批判、不安の基づく賛否両論が飛び交う。

 

 それぞれ尤もな問題点でそれぞれの主張に一理ある。しかしこの観点からの意見の戦わせ方では、他の問題でも同様であったように全体の合意は得られず、結局今回もそうであるように見直し条項をつけて与党が数の優位で押し切るのがほぼ間違いなく見えてくるシナリオだ。

 

 この問題はもっと違う観点から考えてみる必要がある。それは、人間の生(「なま」ではありません。「生」です。)を担保している衣、食、住の大切さや、社会の建設、インフラ構築と維持の価値、さらに国家としてそのあるべき姿という観点だ。

 今回の入管法の改訂は、ただ単純に外国人の就労数を増やすという事ではなく、これら衣、食、住、それを支える建築、インフラにおける末端技術、ノウハウが集中する重要な仕事を外国人に頼るということ、技術やノウハウが日本のベテラン熟練者から日本の若者に伝わらず外国人の若者に移るということなのだ。技術を学んだ外国人の若者は、いずれ自国でその技術を生かす人も多く出るだろう。日本の技術が海外で人々の役に立つ。多いに結構なことだ。

 一方、日本人の中でその大切な技術は伝承されず資産としてアーカイブされなくなってくることにもなるのだ。

 

 日本の優秀な若者が、社会の役に立ち自分の価値を高めるレベルの高い仕事として、IT、ゲーム業界等に集中している今日、彼らが選択肢として継承することを放棄したものが人間が生きる上で、社会を維持する上でのコア技術なのである。

 そうなった原因の一つは、現在の経済的価値評価が本質的な社会重要性とは比例しない世の中になってしまったことにもあるだろう。

 

 戦後、荒廃した国の立て直しに奔走した世代では、子供に自分達のような苦労をさせまいと懸命に頑張って学問を与え、都会に出し、自分たちは我慢をしてきた。それはそれで大変結構なことなのだが、同時に衣、食、住、建設、インフラ構築維持の、その重要性と格好良さについて若者に十分に伝えてこなかった、今現在でなお伝えきれていない。これは我々世代の責任でもあるだろう。

 今の状況は、その付けを払っているのだが、将来の世代に対しては時間をかけても本質的な課題を解消するための種を残すべきであり、それが政治だろう。

 70年の時間とは恐ろしいものだ、それだけに反省を踏まえて70年後を想像する力も必要なってくる。

 今の即時的な対応は必要に迫られれば民間は知恵を絞る。同じような次元での論議のみにとどまっているようでは政治の想像力の欠如が責められる。

 

 もう一つ踏み込んで考えておかなければならないのは、どんな場面でも外国人に頼る覚悟だ。もしかしてこの流れは本質的な課題への取り組みなしに、自分の都合のいい時に都合のいい部分でと思っていても思惑通りにはいかないだろう。いつのまにか、外国人に重要な部分まで依存せざるを得ないことになるだろう。その時には、日本は日本の国土であるが日本人のものではもはやない。外国人が総理大臣になることも、覚悟し受け入れるべきだ。

 

 日本の国はどういう国なのか? どういう国になりたいのか? 特に意識しなくとも自然に皆が暗黙で了解できていたこれまでの漠然とした国家感とは明らかに違う、明確な日本とは何かを創り出さなければならない。

 

 その議論が必要なのは、今でしょ‼

 

 いずれにしても、衣食住インフラに携わる者たちのプライドが最も大切であることには変わりはない。

 

2018.11