五日目 宮西 豊さんとの出会い

旧北海道拓殖銀行豊原支店
旧北海道拓殖銀行豊原支店

松山英樹が快調。WGCブリジストン招待初日を69(パー70)で周り、二日目も途中まで安定している。朝からテレビ観戦。明日、明後日も退屈しないで済みそうである。

 

6:30 朝食のレストラン。今日も、MTさんUNさんそしてMGの順。

「コフィ? ティー?」・・・・・ 声が野太い! アリーナがいない! 何ということだ!

今日は8月12日の土曜日、アリーナはお休み。メニューは連日ほとんど同じなのだが、今日は少しベーコンの硬さが違う。また、スイカの果肉が随分痩せている。土日はシェフも変わるのだろうか。食材は変わらないが微妙な変化がある。

 

今日は、特に予定が決まっていないので食後再び松山英樹の応援。結局二日目は67、2日間トータル‐4で終了。

 

10:00ロビー集合、ユジノサハリンスクで二日目(9日)に回っていないポイントを探索することとする。ユジノサハリンスクはほぼ真四角なわかりやすい格子状の道であり、主要部は半日もあれば歩いてゆっくり回れる。

チェーホフのレリーフのある公園を抜け、チェーホフ劇場、サハリン州政府の前を通ってユジノサハリンスク駅の北の線路沿いにある自由市場へ向かう。

チェーホフは「桜の園」で有名なロシアの作家だが、1890年に当時は流刑地であったサハリンを訪ねている。お医者さんでもあって、「サハリン島」という有名な紀行文を残していることもあってか、チェーホフの名前はよく目につき、耳にする。

サハリン州政府の建物では、結婚式が行われるようだ。祝いのブーケを持ったカップルが建物に入っていく。ウェディングドレス姿の新郎新婦は庭のゲートをくぐって記念写真を撮っている。見つけたMTさんの足が向く。日頃「控えめに 図々しく」をモットーにしているMTさん、モットー通りにゆっくりとしかし確実に新郎新婦に近づきシャッターチャンスを窺う。

近くの路上にはデコレーションした車が数台、若者が笑顔と気勢を上げて祝福の準備をしている。

 

自由市場への途上、旧北海道拓殖銀行豊原支店の建物に寄ってみる。レーニン通りに面した石造りで堅牢な建物は周囲の建物と比べて異彩を放つ。高い建築技術とデザイン感覚が黙っていてもうかがえる容姿だ。現在は美術館として使用されているので入ってみる。

受付のおばさんが一見不機嫌そうだが、6人と告げると表情がほころんだ。館内は、躯体等は当時のままで、展示品のための設備以外は手付かずの為、日本領当時の銀行としての姿を想像することは容易である。

展示品は美術品が中心で、先住民族のもののような細工物もある。北海道を描いた水彩画、美女画、見事な螺鈿の細工を施した家具、等々それなりに見ごたえがある。「ここが支店長室だったな」等と各部屋を回りながら銀行時代の用途と結び付けてみるのも面白い。

警備員はおらず、ガイドを兼ねると思われる管理のおばさんが数人、日本人のお客さんが数名と空いている。チケット売りのおばさんがサハリン6に愛想が良いのもわかる。帰りがけ、このおばさんが絵画の本を一冊差し出す。「これを買え!」と言っているのかと思ったら「プレゼント」と笑顔付きの英語で見送ってくれた。

 

美術館からゆっくり歩いて10分程で、自由市場に着く。大小多くの店があり、衣食住に関するもの何でもある。豊かだ。見ものは、魚介類売り場。サーモン、トラウト類の燻製は見事、巨大な半身が平均1500ルーブル(約3000円)、生で一本700~1000ルーブル(1500~2000円)、膨大な数が売られている。また、路上での「キノコ」「ベリー」売りのおばちゃんの列は、市場らしさをさらに醸し出す。

市場を根城にしている猫は良いところを見つけたものだ、食うに困ることは無い。

ここで昼食も考えたが、明日もあるので今日は下見程度にして、ホテルで昼食をして午後のことを考えることにした。

 

帰路、レーニン広場でバザールをやっていた。自由市場の路上で見たような屋台でやはり燻製や生魚を売っている。バザーの横では、ホースライドサービス。土曜日の昼なので家族連れで賑わっている。

ホテルの昼食の為、全員一致で例のスーパーへ、各自昨日と違うジャパンヌードルを購入する。

スーパーを出ると、土曜日であるのに歩道のリニューアル工事をしている。市内の幹線道路はブロック型の敷石で舗装しているところが多いが、下を簡単にならしただ置くだけのような舗装でいたるところ傷んでいるため市内各地で歩道工事が目に付く。

目の前の工事現場で人の目を引き付ける達人を発見。敷石のブロックをはがして、トラクターのバケットに入れるのだが、なんと、両膝をつき、左右両手に一個づつブロックを掴み、後ろ手に二つをいっぺんにバケットに次々と放り込んでゆく。その体勢なので、バケットは全く見ていない。天晴れ!作業員は数人いるのだが、このテクニックを見せる作業員は他にいない。良いものを見せてもらった。お昼にしよう。

宮西 豊さん(右) MTさん(左)
宮西 豊さん(右) MTさん(左)

昼食、休息の後、夕食の相談。

昨日の「日本みたい」の他にもう一つ気になっている店がある。ユジノサハリンスク市役所横、レーニン通りに面した「ふる里」なる日本料理店。

到着初日にバスの中でベスタさんが「日本の桜をサハリンに持ってきてくれた日本人オーナーが経営している」と紹介してくれたのが記憶に残っていた。

今日は「ふる里」での夕食に決定した。

 

まだ明るい6時(日本であれば午後4時)ホテルロビーに集合して出発。ホテルから「ふる里」まではゆっくり歩いて10分。

 

店へはいると、落ち着いた色合いで、日本の臭いがプンプン。メニューもお馴染み日本料理が並ぶ。着物でもんぺ姿のロシア人のウェイトレスがオーダーに来るが、日本語が堪能というわけではない。ビール+コーラと日本の居酒屋での定番料理を注文。日本料理店ということで安心しているのか、サハリン6の表情に緊張感は無い。

乾杯を終えると間もなく、料理白衣と和帽子姿でメガネをかけたオーナーらしき人物がテーブルへ挨拶に来た。宮西 豊(みやにし ゆたか)さん 83歳とは思えない若々しさ。札幌生まれの宮西さんはソ連時代の末期からサハリンとかかわりをもち、長年日ロの交流に尽力なさった方で、ユジノサハリンスクで日本人唯一の名誉市民ということだ。

2003年に今の場所に「ふる里」を開業した。難しい日ロ関係の中で大変なご苦労があったことであろうが、宮西さんは「色々な人に助け助けられたおかげです。ロシア人は杓子定規ではなく情に厚く本当に優しい。」と人の繋がりの大切さをしみじみと語ってくれた。店内にはゴルバチョフ等様々な要人との写真が飾られ、宮西さんの実績と広い人脈がうかがえる。

平成26年には、国家や公共に積年の功労があると認められ、天皇陛下より瑞宝双光章(ずいほうそうこうしょう)を拝領している。

また、宮西さんは作曲家の顔も持っている。

元々アコーデオン奏者として芸能界入りしており、1965年から作曲家としての道を歩んだ。

OZとMGが函館出身ということを聞き、「『函館ブルース』って曲を知っていますか。あれは私が作ったんです。」

「えーーー!」OZとMG、聞いたことはあるが作者のことは知らなかった。こんな偶然に出会うとは。ペンギンの欠航の災いが一気に福に転じたようなものだ。

OZは元道南出身の代議士秘書を務めていたので、知識、人脈が優れている。「函館ブルース」誕生のエピソードに出て来る、地名、店名、人名でも知っているものが多いようで話が弾む。

またMTさんは芸能写真60年の大ベテラン。宮西さんと芸能界での時代が重なるので、共通の話題が豊富である。

宮西さんが他のテーブルへ挨拶に出向いた間に、一人の日本人が近づいてきた。我々と運命共同体、同じように足止めを食らった皆さんだ。北海道羅臼町の方々でサハリンへ釣りのツアーに来たという。マス類を釣り歩いたそうだが、熊対策でハンターをボディーガードに雇わなければならないということだ。羅臼といえば知床の熊、釣りツアーメンバーである羅臼町議会議員の宮腰さんの名刺裏には素敵なヒグマの写真が使われている。

話しは逸れるが、この旅行中ガイドのベスタさんに、鮭の孵化場に現れた20頭のヒグマ集団の動画を見せてもらった。日本と同様サハリンも鮭の孵化事業が盛んであるが、あまりに大量に捕獲をするため、俎上の鮭が少なくなり、ヒグマが孵化場にやってきたのだという。なんでもバランスが大切だ、人間の行き過ぎた欲はバランスを崩す。

弾む話と、日本みたいではなく日本そのもののなんでも美味しい食事。あっという間に時間が過ぎた。最後に、おにぎりが食べたいとお願いし、ソウルフードに幸せを感じた。

帰る際、お会いした時に話した、サハリン6の事情を哀れに思ったのか、明日店に来るようなら「タラ鍋」を用意して下さるということ。しかも、要人が会食をするVIPルームに入らせてくれるという願ってもないお話に、サハリン6 即座に「お願いします。」

 

満足満足。お腹も心も満たされ、明日の予定も楽しみなサハリン6、今夜は今までで一番満足な睡眠がとれるだろう。   五日目 完!