2017年8月8日午前7時、その6人は日本最北端の港町 稚内の 国際埠頭に立った。
8月8日 9:00 ペンギン33号の舫が解かれた。船中には雄武町との交流で訪れたサハリンの中学生と思われる集団が同乗、若い子供達の歓声が心地よい。
船内は二階建ての椅子席、ただし空いている床には一面マットレスが敷いてある。何でこんなにマットレスが敷いてあるのか、その訳は出港して間もなく判明する。
港内を出るまで、船尾のデッキには乗客が集まり、思い思いに、離れゆく稚内の町、稚内市の職員の皆様が見送るターミナルデッキ、追いかけるカモメ、勢いよく噴射される水しぶきと航跡にレンズを向け、はしゃぐ。
港を出て、宗谷岬をかわすとそこはすぐに宗谷海峡となる。国際海峡である宗谷海峡はこの航路では最もあれる場所、サハリンのアニワ湾に入るまでの1時間半は270tのペンギンにはきつい。案の定、大荒れとは言えない海であるが、このペンギンは頻繁に空を飛ぶ。双胴船の為ローリングは少ないが、ピッチングは激しく、波頭に乗り上げる持ち上げられる感触+空を飛んだ一瞬の重力低下+着水と同時に船底を叩く水面の衝撃の果てしないリピートだ。
気がつけば、サハリン6それぞれがこの状況と向き合っている。乗船前から昔の船酔い経験から神経質になっていたUNさん、酔い止め薬を飲む時間を分単位まで気にしていたが、とうとうダウン、船員にどこかへ連れていかれる。MSさんも酔い止め薬を飲んでいるが、ずうっと表情は硬い。NOさんも酔い止め薬を飲んでいる、表情は明るいが、内心どこかで心配している。OZさんは世間のいろんな波を乗り越えてきているので平然、MGも野生の本質からケロッとしている。そして81歳のMTさん、まったく平然としている。感じなくなっているのだろうか(失礼)。
そうこうしているうちに出発時はしゃぎまわっていた生徒たちの中から、次々とダウンするものが出て来る。ダウンした乗客は次々とどこかへ運ばれて行く。我々は2階に乗船していたのだが、一階へ行ってみると舳部分に船酔いの乗客が集められている。この場所が比較的安定しているらしい。UNさんもそこにいた。
敷き詰められたマットレスの上には、トドのように乗客が転がっている。中には、トドのようにではなくトドのような乗客も寝ている。
感心するのは乗組員。ロシア人はほとんどいない、アジア系の乗組員が大半だが、いつも笑顔で、大揺れの船内で次々と乗客の面倒を見、汚物の処理なども速やかだ。責任者と思われるロシア人は乗客を安心させるため、一人一人に声をかけ、飴?とおもわれるお菓子を配る。
彼らからは優しさと思いやりが充分に伝わる。
船内は禁酒で、アイスンにあったような缶ビール100円の自動販売機が無いのが残念だが、この海の状況をみると理解できる。
三日後の11日の帰路は、もう少し凪いでいて欲しいものだ。
宗谷海峡を乗り切ると、アニワ湾に入る。目的地のコルサコフ(大泊)は、アニワ岬とクリリオン岬にはさまれた大きなアニワ湾の奥に所在するため、航路の大半は比較的波の穏やかなアニワ湾を走る。船内にも落ち着きが出てきた。
稚内を9時に出てから実質4時間半(時差が2時間あるのでサハリン時間では15時30分)コルサコフ港に入った。陸が見えると誰でもほっとするのだろう。またあの生徒たちの明るい声が聞こえる。UNさんにも笑顔が戻った。
コルサコフ(大泊)の港は国際埠頭である。ロシアでは港湾施設は軍事施設であるので、原則撮影は禁止である。
MGにとっては3年前にはじめて降り立った埠頭だが、3年前と全く変わっていない。インフラの整備は行き届いていない。同じ国際埠頭でありながら、稚内港とのギャップは大きい。
足場に注意してペンギンを降りる。よく飛んでくれました。ありがとう。下船の際もロシア人責任者の笑顔と声がけが嬉しい。そして、自国民のロシア人より先に日本人を下船させる。観光に力を入れているということなのか。
下船するとリムジンバスが待っている。でこぼこの桟橋を走って数分で入国管理事務所に付く。ロシアでは英語はじめロシア語以外の表示は極めて少ないが、出迎えの言葉が一つだけ、英語と日本語で書いてある。入国管理事務所の入り口は、どこかの倉庫の入り口かと思うような質素?さ。中は薄暗く狭い。パスポートと旅行社から渡され言われたように記載した入国票を渡し、顔写真と照合できるように正面をきりりと向いて、手続き終了。荷物検査もスムーズであった。船はちょっと試練であったが旅は順調に進むだろう。
入国手続きを終えて待合に出ると、北都観光の通訳兼ガイドのベスタさん、稚内市サハリン事務所の中川善博さんが出迎えに来てくれていました。
中川さんは、前任の渡辺公仁人さんの後任で今年赴任したばかり、三日目の夕食を手配していただき、ご一緒することになっている。ベスタさんはMGが3年前に渡樺した時もガイドをしてくれた日本大好きの女性で、ロシア人特有のある年代から上のマトリョーシカ体形とは無縁のスレンダーな美人。3年前と変わっていない。
北都観光の用意したベンツのバスに乗ってユジノサハリンスク(豊原)のホテル パシフィック・プラザ・サハリンへ向かう。ほぼ小一時間の工程、ガイドのベスタさんの様々な情報提供を聞きながら、明日以降のプランを頭に描く。ベスタさんは人口密度等様々な統計を用いて日本とロシア、サハリンとの違いを説明する。サハリンの人口密度は5.59人/㎢、北海道の68.25人/㎢の10分の一以下、特に北緯50度線以北には市街地は極めて少ない。
走ること40分程、にわかに建物が密集してきたと思ったら、ユジノサハリンスク(豊原)の入り口だ。走ってきた道はサハリンのなかでも最も重要で整備された幹線のひとつと言えるものなのだが、凹凸が多い上にバスはかなりのスピードを出すので、ペンギンほどではないが揺れ、跳ねる。日本と違い幹線の枝線および路肩の舗装率が低いので、とにかく埃っぽい。高級な車も走っているのだが、いずれも泥にまみれている。車は右側走行、北欧と同じくデイライトが目立つ。
サハリン時間17時30分(日本時間15時30分)、ホテル着。
出がけに旅行社から、サハリンのホテル事情を聞いていた。「トイレは排水管能力に問題があるため、紙を多く流すとすぐ詰まるので拭いた紙を便器横のバケツに捨てる。」「バス、シャワーのお湯はかなり水を出さないと暖かくならない。」とのことで不安を抱いていたが パシフィック・プラザ・サハリンはさすがに一流ホテルなのか通常に使う分には、トイレは問題なく流れ、シャワーのお湯もすぐに使えた。
旅の荷をといて夕食まで2時間弱、街で一杯やろうということになる。何せ看板の字が読めない、言葉も英語が通じない国柄だ、とりあえずレストランと軽食屋の中間のような店に入り席に着いたが、ビールらしきものがメニューに見当たらない。ウエイトレスに話しかけても全く要領を得ない。奥から男性が出てきたがビールは無いというような仕草だ。
店を出てユジノサハリンスク駅に向かってうろついていたところ、スーパーマーケットを見つけた。綺麗で比較的大きなスーパーだ。面倒なので買い物をして部屋飲みということになった。
スーパーの品数は豊富だ。ほとんど何でもそろっている。日本のビール、カップラーメンや焼きそばなどもあるが、韓国製等と比べて高い。スーパーの中も撮影禁止。いかつい目つきの頑丈そうな警備員が多数配置され、万引きや撮影の見張りをしている。ちょっと怖い、が、買い物かごの片付けもする。ロシア人は通常笑わないのでわからないが優しいところもありそうだ。
ビール、ヴォッカ、サーモン燻製、ニシンのオイル付け、スモークチキン等を買い込む。
結局、このスーパーへは毎日のように6度も通うことになる。常連客が増えた。
MGの部屋で無事到着と翌日以降の幸運を願って乾杯。
19時、ホテルのレストランでサハリン最初の食事である。
野菜サラダに始まり、ボルシチ、ピロシキと定番が続き、メインディッシュは大量のマッシュポテトと白身魚のソテー これがロシア料理なんだと箸(フォーク)を進めるが、ウェートレスの皿を片付けるのが早い。最後の一口が終わるのを虎視眈々と狙っている。
箸を置くか置かないかのうちに皿が消える。
それにしても本場で飲むヴォッカは美味い。名物に旨い物なしとよく言うが、酒は世界各地本場で飲むのが一番美味い。凍らせてとろみが出たところをストレートで煽る。あっという間にボトルが空く。写真家のMTさんだけは常にコーラである。
ホテルのテレビは302チャンネルもあるが、ロシア語なのでほとんどわからない。
宗谷海峡の試練を思い出し、明日からの楽しみを想像しながら、初日 完!